日航機墜落20周忌

1985年はボクにとって非常に想い出深い年だった。
中学1年になった年だ。
Back To The Futureもこの年が舞台である。
中でも、毎年恒例の伊東への家族旅行から帰って来た日のこの事件は衝撃だった。
丁度帰宅したのが18時頃。
一息ついて応接間に行ったら、家族中でテレビに噛り付いていた。
ボクと父親はこの手の事件にとても興味を持つタイプであり。
この事故(もしくは事件)に関する書籍は10冊以上読んだ。
ちなみに、事故機が墜落したのは一般に言われるように御巣鷹山ではない。
高天原山という山である。
事故調査委員会の報告では、圧力隔壁の崩壊による垂直尾翼及び機体尾部の脱落。
コレが直接の事故原因とされている。
しかし、様々な検証により、この説はほぼ否定されていると言って過言ではない。
少なくとも、圧力隔壁が崩壊したのなら必ず訪れるであろう急減圧は完全に否定されている。
それでも事故調の提出したレポートではこの結論一点張りである。
救助隊の現場への到着の遅れ等の様々な要因に拠って、非常に不透明な結論に見える。
ミサイルでの撃墜やフラッター現象等、様々な推論がそれこそ百出している原因だ。


520名+胎児1名の死者を出し。
生き残った4名の方にも、非常に深いトラウマを残したと思われる。
これだけの犠牲を出した事故の調査としては余りにも杜撰でお粗末だと言わざるを得ない。
果たして事故調査委員各位は、その後も「上を向いて歩こう」と思えたのだろうか?