正味な話

ちょっと読んでみたけど。
どんな異性が好きか、というのは絶対的に自分の好みに依存するわけで。
そうなると、類型化というのは全く意味なんて無い気がするわけですよ。
「ワタシはこういうタイプなんだけど、一般的にどう思う?」
という論議って、結局他人に「大丈夫」って言ってもらって安心したいだけじゃん?
こういうことを論議するような人に限って、自分が振られた時に
「だって皆はこう言う。だからアナタの方がおかしい」
的な論理飛躍したコトを言ってくることが多い気がする。
という風に言うのも類型化なんだけど。(笑)


つまり、自分で納得できるならどんな理屈があってもいいけど。
相手までそれで縛るなって話だよ。
何より痛いのは、こういう話に対して「自分の経験では〜」的なコメントを述べることと思う。
他人に対して自分の経験なんて意味が無いのですよ。
駱駝をオアシスに連れて行くのはキャラバンの仕事でも、水を飲むか飲まないか決めるのは駱駝。
いつだって最終的な責任は自分に帰するのだ、という認識を持って生きて行きたい。