そもそも理論

そもそも論、ではありません。
そもそも理論ってなんだろう、と。


自然界における現象を説明する為に合理的な仮説を編み出し。
その仮説を実証する為に実験が繰り返され、証明されたもの。
ってな感じですかね?


成り立ちがこういう手順なのであれば。
複数の現象に対して、その現象の数だけ理論が出来上がっていくわけで。
さまざまなスタンスによるさまざまなアプローチで。
もちろん、ドップラー効果赤方偏移みたいに、全く異なる現象から、
同じ理論が組みあがっていくこともあるでしょう。


で、なんでこんなことを思ってるかと言いますと。
理論ってのは、完全に数式が現す世界なんだ、と。
感情ってものが徹底的に排除されている世界なわけです。
そこで、音楽なんていう、人の感性の現れのようなものに対する理論が
汎用的になり得ないというのはここに原因があるんじゃないかな、と。


ある人にとっては最高なものが、他の人にはそうじゃあない。
当たり前のことですが。
こと理論になると、そうは行きません。
立証された定理に基づく実証がなければならないわけですけども。
そもそも人の心が理論通りに動くものなら苦労なんてしません。


だから、本来音楽理論を論ずるのであれば、それは美学とは全く異なる
アプローチで取り組まれなければならないことであるはずなんです。
ところが、残念ながら、美学抜きに音楽が語られることはほぼ無いです。*1
そうなると、我々は不分明な美学と理論の狭間で汲々とすることになり。
結果として、音楽に理論としての発展は望めなくなって行くのかな、と。


音程も音階もコードもリズムも、拙いながらもある程度は理論化されており。
我々は、上手く系統立てられていないそれらを駆使して必死に考えるけど。
もう少しキチンと系統立てて考えることが出来れば多少は変わって行くかな?
まずはスケールだな、うん。

*1:好き嫌いを抜きにして語られる音楽なんて余り楽しいものでもないでしょうし。